京都地方裁判所 昭和59年(行ウ)27号 判決 1990年10月23日
原告
北芝梅子
右訴訟代理人弁護士
森川明
同
渡辺哲司
同
村井豊明
被告
地方公務員災害補償基金京都府支部長
荒巻禎一
右訴訟代理人弁護士
小林昭
同
石津廣司
主文
一 原告の請求を棄却する
二 訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第一 当事者の求める裁判
一 原告(請求の趣旨)
1 被告が原告に対し昭和五五年一月一六日付けでした公務外認定処分を取り消す。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
との判決。
二 被告(答弁の趣旨)
主文同旨の判決。
第二 当事者の主張
一 原告(請求原因)
(一) 訴外北芝豊一の死亡等
訴外北芝豊一(以下「豊一」という)は、京都市立下鴨中学校の教諭であったが、昭和五三年五月一二日、同中学校の修学旅行引率業務に従事中、脳内出血を発症しこれにより死亡した。
(二) 公務災害認定請求手続等
豊一の妻である原告は、被告に対し、昭和五三年一一月二八日付けで地方公務員災害補償法(以下「地公災法」という)に基づき、豊一の死亡について公務災害認定請求をしたが、被告は、昭和五五年一月一六日付けで公務外認定処分(以下「本件処分」という)をした。
原告は、本件処分を不服として、昭和五五年四月一二日付けで地方公務員災害補償基金京都府支部審査会に審査請求をしたが、同支部審査会は、昭和五八年八月一七日付けで審査請求を棄却する裁決をしたので、原告は、更にこの裁決を不服として、同年九月二八日付けで地方公務員災害補償基金審査会に再審査請求をしたが、同審査会は、昭和五九年九月五日付けで再審査請求を棄却する裁決をし、その裁決書は同年一〇月九日原告代理人に送達された。
(三) 豊一の発症・死亡の公務起因性
豊一は、以下のとおり公務上死亡したものである。
公務災害補償制度は、憲法二五条に定める生存権を具体的に保障しようとする同法二七条に基づき被災職員とその家族の生活の保障を目的とするものであるから、公務上死亡と認定するためには被災職員の発症ないし死亡に公務関連性があれば足ると解すべきである。そして、豊一は前示のとおり、修学旅行引率業務に従事中発症し、死亡したものであるから、これに公務関連性がある。
仮に、被災職員の発症ないし死亡と公務の間に相当因果関係を必要とするとしても、公務災害補償制度の前示目的、理念に則り被災職員とその家族の生活を保障するものでなければならないから、その内容は不法行為の場合よりも軽減されなければならない。
(1) 豊一の発症自体の公務起因性
イ 豊一の死因
豊一の死因は、脳内出血のうち小脳出血である。その発症は以下のとおり公務と関連性があり、仮に、相当因果関係を必要とするとしても、発症と公務の間に相当因果関係もあるから、豊一の死亡は公務上の死亡である。
すなわち、豊一は、昭和四七年四月から昭和五三年三月までの六年間京都市立高野中学校において、次のロ、ハのとおり極めて過重な職務に従事したため、疲労が蓄積し、ストレス、緊張が度び重なり、その結果小脳動脈の血管壁を脆弱化させ、昭和五三年四月下鴨中学校へ転任後も引き続き極めて過重な職務に従事したため、疲労が蓄積し、ストレス、緊張が連続して、小脳動脈の血管壁を更に脆弱化させて血管壊死(小脳出血の準備状態)を来たし、更に昭和五三年五月一二日、重篤な風邪に罹患した身体で特別に高度なストレスや緊張が連続した過重な職務である修学旅行引率業務に従事した結果、一過性の血圧上昇を来たし、壊死状態の小脳内の血管壁が破壊して小脳出血を発症したものである。
したがって、豊一の発症、死亡は高野中学校、下鴨中学校の過重な職務に起因するものである。
ロ 豊一の高野中学校における職務等
豊一は、大正一一年一月五日生まれで、昭和二五年九月助教諭、昭和二六年七月教諭に任命され、京都市立の久多、加茂川、洛北、高野、下鴨中学校に順次勤務した。昭和四七年四月から昭和五三年三月までの六年間在職した高野中学校の職務は、以下のとおり極めて過重であった。
同中学校は、同和地区生徒を抱えるいわゆる同和関係校で、生徒の指導教育に多くの意欲的実践を行なっていたが、豊一はその先頭に立って職務を遂行した。そのため、豊一の昭和五二年度の職務内容には、通常の教科担当、クラス担任その他の校務のほか、同和地区生徒に対する毎週の学習会活動、毎月の家庭訪問、校務分掌上の庶務部長、育友会書記、互助・共済組合担当、クラブ顧問等があり、残業時間はいわゆる持ち帰り残業を含めて一か月一〇〇時間を超えた。下鴨中学校に異動直前の春休み期間中も、指導要録、観察記録簿等の作成、担当教科室の移動等極めて多忙であり、長期にわたり蓄積された疲労が解消されないまま極めて深刻な状態になっていた。
ハ 豊一の下鴨中学校における職務等
豊一は、昭和五三年四月から下鴨中学校に勤務したが、その職務は、以下のとおり極めて過重であった。
豊一は、それまでと校風が変わった職場で、しかも負担の重い三年生のクラス担任となり、転任直後から一般の教科指導と併せて進学問題についての職務にもとりかかり、また、転任後まもなく予定されていた修学旅行に向けての職務も極めて雑多であり、その結果一か月の残業時間は膨大なものとなった。そして、豊一は、同年五月初めころ風邪に罹患しそのうち声も出なくなったが、日程の迫った修学旅行のため休暇もとれず、ほとんど無言で黒板に説明事項を記載しながら勤務を続けた。
ニ 発症当日の職務と発症の経過等
豊一は、昭和五三年五月一二日、日常の職務と内容が全く異なり、負担が大きく極めて過重な職務である修学旅行引率業務に以下のとおり従事した。
同日早朝、豊一は、妻である原告が見かねて休むことを勧めるほど重い風邪のため苦しそうな状態であったが、修学旅行引率に出かけた。
豊一は、同日午前八時二〇分ころ京都駅八条口において、声を出し難い体調の悪い状態であったが生徒らの点呼を取り、持物検査等を行ない、午前九時九分新幹線で出発し、途中で昼食指導を行なった。
午前一一時五九分三島駅に到着し、豊一は、生徒らの点呼をとり、午後零時一五分ころ同駅からバスで出発したが、その後三〇分程して、同僚の佐々木教諭に「気分が悪い」旨訴え、顔を窓側に向けじっと動かないままの状態であった。
午後一時一〇分ころ、バスが元箱根に到着し、生徒らは直ちに見学に出発したが、豊一のみは残り、芝生に横になったり、バス内でじっとしており、午後二時三〇分ころ、見学から帰った生徒らとともに再度バスで出発した。途中、豊一は頭痛、めまい等を訴え、時々ビニール袋を口にあてがったが、汚物は吐かなかった。
午後二時五〇分バスが大涌谷駐車場に到着し、生徒らは直ちに見学に出かけたが、豊一はそのまま座席にもたれるままの状態で残った。午後三時二五分ころ、見学から帰ってバス内に入った楠見教諭が豊一の異常な様子に気付き、付添医師が呼ばれて診察したが、既に豊一は顔面蒼白で呼吸は停止していた。
そして、豊一は午後三時五〇分ころ救急車に収容され、午後四時五分箱根二の平医院に搬送されたが、午後四時三〇分心臓が完全に停止し死亡が確認された。その後、後頭下穿刺によって血性髄液が認められ、死体検案書に死因として脳内出血と記載された。
以上のとおり、豊一は、極めて過重な業務に起因して一過性の血圧亢進を来たし、午後零時四五分ころ気分が悪い旨を訴えるより以前に小脳出血を発症したものである。
(2) 死亡自体と公務との間の因果関係(予備的主張)
仮に、豊一の発症について公務起因性が認められないとしても、豊一の死亡自体と公務との間には因果関係がある。
すなわち、豊一の発症は小脳出血であり、発症時期は午後零時四五分ころ気分が悪い旨を訴えるより以前であるが、発症時期、場所が修学旅行引率業務中のしかもバスに乗車中でなければ、発症後直ちに異常を発見され、時機を失することなく適切な処置を受けることができたはずであり、その結果少なくとも生命は助かったはずであるのに、修学旅行引率業務中でバスに乗車中であったため乗り物酔いと誤解されて、発症後直ちに異常を発見されず、そのため適切な処置を受ける機会を失って死亡したものであって、少なくとも豊一の死亡と公務との間には因果関係があるので、豊一の死亡は公務上の死亡である。
(四) 本件請求
以上のとおり、豊一の死亡が公務上の死亡であるのに、これを公務外の死亡と認定した本件処分は違法であるから、原告は被告に対し、本件処分の取消しを求める。
二 被告(認否・主張)
1 請求原因に対する認否
(一) 請求原因(一)の事実を認める。
(二) 同(二)の事実を認める。
(三) 同(三)冒頭の主張を争う。
同(三)(1)イの事実を否認する。
同(三)(1)ロ及びハの各事実中、(a)豊一が大正一一年一月五日生まれであること、昭和二五年九月助教諭に、同二六年七月に教諭に任命され、京都市立の久多、加茂川、洛北、高野、下鴨の各中学校に順次勤務したこと、高野中学校に昭和四七年四月から同五三年三月まで六年間在職したこと、同中学校は同和地区生徒を抱えるいわゆる同和校であったこと、昭和五二年の職務内容として、通常の教科担当、クラス担任の他に、同和地区生徒に対する毎週の学習会活動、毎月の家庭訪問、校務分掌上の庶務部長、育友会書記、互助・共済組合担当、クラブ顧問があったこと、下鴨中学校には昭和五三年四月から死亡当日まで勤務し、三年のクラス担任となったこと、同年五月初めころ風邪に罹患したことを認め、(b)その余の事実を否認する。
同(三)(1)ニの事実中、(c)昭和五三年五月一二日豊一が修学旅行引率のため出かけたこと、当日午前八時二〇分ころ京都駅八条口で生徒らの点呼を取り、持物検査等を行ない、午前九時九分新幹線で出発し、途中で昼食指導を行なったこと、午前一一時五九分三島駅に到着し、午後零時一五分ころ同駅からバスで出発したこと、午後一時一〇分ころバスが元箱根に到着し、生徒らは直ちに見学に出発したが、豊一のみが残ったこと、午後二時三〇分ころ見学から帰った生徒らとともに再度バスで出発し、その後原告主張の経過を経て午後四時三〇分死亡が確認され、後頭下穿刺によって血性髄液が認められ、死体検案書に死因として脳内出血と記載されたことを認め、(d)その余の事実を否認する。
同(三)(2)の事実を否認する。
(四) 同(四)の主張を争う。
2 被告の主張
(一) 公務上外認定基準について
(1) 地公災法三一条にいう「職員が公務上死亡した場合」とは、職員が公務に基づく負傷又は疾病に起因して死亡した場合をいい、公務と死亡との間に相当因果関係がなければならず、その相当因果関係の存在の立証責任は、公務上の災害と主張する原告にある。
(2) 地方公務員災害補償制度は、その費用の全部が使用者たる地方公共団体の負担とされていること(地公災法四九条)から明らかなとおり一種の使用者責任としての性格を維持しているものであり、公務上外の判断にあたっては、使用者たる地方公共団体の負担に帰せられる危険の範囲につき何らかの限定がされなければならず、被災職員の死亡が公務上と認定されるためには、一定の時間的限定をもった明確な事由、すなわち「災害」概念に適合する事態の存在を必要とする。
(3) 本件のような脳血管疾患の公務上外認定について、同一の制度構造をもつ労働者災害補償保険法(以下「労災法」という)に関して、昭和三六年二月一三日付け基発第一一六号労働省労働基準局長通達「中枢神経及び循環器系疾患(脳卒中、急性心臓死等)の業務上外認定基準について」が、国家公務員災害補償法(以下「国公災法」という)に関して、昭和五四年一〇月人事院通知「中枢神経及び循環器系疾患(脳卒中、急性心臓死等)の公務上外認定指針」が存在したが、右基準及び指針は、昭和六二年に改正され、労災法に関して、昭和六二年一〇月二六日付け基発第六二〇号労働省労働基準局長通達「脳血管疾患及び虚血性心疾患等の認定基準について」(以下「新基準」という)が、国公災法に関し、同趣旨の昭和六二年一〇月二二日付け人事院事務総局職員局長通知「脳血管疾患及び虚血性心疾患等の公務上の災害の認定について」(以下「新指針」という)が出された。
右の新基準及び新指針(以下「新指針等」という)は、最新の医学的常識に基づき策定されたものであり、公務上外の認定判断はこれに即してなされるべきであるところ、新指針等においては、脳血管疾患が公務上の災害と認定されるためには、次の二要件を充たすものでなければならないとされている。
① 次に掲げるイ又はロの業務による明らかな過重負荷(医学上当該脳血管疾患の発症の基礎となる病態をその自然的経過を超えて急激に著しく増悪させることが医学経験則上認められる負荷)を発症前に受けたことが認められること。
イ 職務に関連して発生状態を時間的及び場所的に明確にし得る異常な出来事に遭遇したこと。
ロ 日常の職務に比較して、特に質的に又は量的に過重な職務に従事したこと。
② 過重負荷を受けてから症状の出現までの時間的経過が、医学上妥当なものであること。
また、新指針等は、公務上外認定にあたって問題となる過重負荷の存否を、基本的には発症前一週間に限って採り上げるべきものとしている。即ち、
① 発症に最も密接な関連を有する職務は、発症直前から前日までの間の職務であるので、この間の職務が特に過重であると客観的に認められるか否かを、まず第一に判断すること。
② 発症直前から前日までの間の職務が特に過重であると認められない場合であっても、発症前一週間以内に過重な職務が継続している場合には、急激で著しい増悪に関連があると考えられるので、この間の職務が特に過重であると客観的に認められるか否かを判断すること。
③ 発症一週間より前の職務については、急激で著しい増悪に関連したとは判断し難く、発症前一週間以内における職務の過重性の評価に当たって、その付加要因として考慮するにとどめること(新指針では、考慮すべき期間を発症前一か月に限っている。)とされている。
右判断基準は、最新の医学経験則上の知見に基づくものであり、発症前一週間より前にたとえ過重な職務が継続し、疲労が蓄積していたとしても、それをもって公務起因性ありと判断することはできない。
さらに、新指針等は、職務による継続的な心理的負荷(いわゆるストレス)を過重負荷とはしていない。これは、継続的な心理的負荷に対する生体反応には著しい個体差が存すること、継続的な心理的負荷は一般生活にも同様に存在することなどに加え、心理的負荷と発症との関連の詳細については医学的に未解明な部分があり、現時点で、過重負荷として評価することは困難であるからである。すなわち、現時点における最新の医学経験則上の知見においては、単なる心理的負荷の継続をもって公務起因性ありとすることはできない。
脳血管疾患については、被災職員に病的素因や基礎疾病のある場合が多く、この場合には、公務の遂行が当該疾病の自然的発生又は自然的増悪に比し著しく早期に発症又は急速に増悪させる原因となったときに限り、公務起因性が肯定される。すなわち、公務の遂行が当該疾病の発症、増悪に何らかの影響を与えたとしても、それが当該疾病の進展を著しく促進したものでない限り公務起因性は否定されるのである。
以上の新指針等に照らすと、豊一には頭蓋内出血に係る脳動脈瘤の基礎疾患が存在しており、公務の遂行が当該疾病の自然的発生又は自然的増悪に比し著しく早期に発症又は急速に増悪させる原因となったことを認めることができないから、豊一の死亡に公務起因性を認めることはできない。
(二) 豊一の疾病についての主張
豊一の疾病は、脳動脈瘤破裂によるくも膜下出血とみるのが妥当である。
豊一は、昭和三四年以降の職員定期健康診断において常に正常血圧であり、豊一のような五〇歳以上の者について小脳出血の原因として最大のものとされる高血圧症がなく、発症当日も小脳出血の重大な鑑別診断の要素とされている①起立歩行不能の症状、②激しい頭痛、回転性めまいの症状、③構音障害、④重篤な嘔吐のいずれも発現していないから、豊一の疾病は小脳出血ではない。また、小脳出血で頭蓋内圧が亢進すると紅潮するはずの顔面が、逆に蒼白になっていたのであるから、小脳出血とは考えられない。
医学上一般に、脳動脈瘤は、脳動脈の血管分岐部の先天性の中膜欠損に、血圧、血流の負荷が加わって状に拡大するといわれている発生学上の一種の奇形を基盤とする疾病であり、先天的に発生し自然に成長して、時、所を選ばずいつでも破裂するものであり、外的ストレスとは無関係であるから、公務の遂行とは因果関係がないもので、豊一の疾病は、既に日常の負荷によっても破裂すべき状態にまで肥大していた脳動脈瘤がたまたま公務遂行中に破裂したものに過ぎない。
仮に、豊一の疾病が小脳出血であるとしても、小脳出血は小脳部の血管壁が破壊されることによって生ずるものであり、血管壁破壊の原因は、小脳部に脳動脈瘤等の基礎疾病がない限り異常亢進した血圧であるから、公務起因性が認められるためには血管壁破壊の原因となった異常血圧亢進が公務によるものでなければならないが、豊一には異常血圧亢進をもたらすような公務による過度の精神的、肉体的負担が存在しなかったのであるから、公務起因性はない。
(三) 救命の可能性について
豊一の疾病は脳動脈瘤破裂であり、その発症時期は午後二時五〇分大涌谷到着以降であり、午後三時二五分には死亡状態になっており、短時間内に発症、死亡しているから、発症の場所がどこであっても救命の可能性はなかった。
仮に、豊一の発症が小脳出血であり、発症時期が原告主張のとおりであったとしても、脳外科手術可能な大病院に搬入されるのは、通常、意識障害の生じた後であるところ、午後二時三〇分元箱根出発後午後二時五〇分大涌谷到着までの間においても、豊一は少なくとも意識障害がなかったから、大病院に移送されることになるのは、修学旅行引率業務中であるか否かを問わず、午後二時五〇分以降のはずであり、仮に、午後二時三〇分から午後二時五〇分ころまでのバス車中で異常を発見され大病院に移送措置がとられたとしても、手術開始までには死亡していたものであり、なお、昭和五三年当時の小脳出血の手術による救命率は低かったから、救命の可能性はなかった。
また、発症当時は修学旅行引率業務中ではあるが、付添医師が同行しており、必要があれば受診できたのであり、しかも常に近くに同僚教諭等がおり、午後二時五〇分以降のバスにも運転手が車内に居て、豊一に異常があれば直ちに発見できる状況下にあったのであり、豊一の発症が修学旅行引率業務中であるからといって受療の機会を失したことは全くない。
三 原告(被告の主張に対する認否)いずれも争う。
第三 証拠<略>
理由
第一当事者間に争いのない事実
原告主張の請求原因(一)、(二)の各事実及び同(三)(1)ロ、ハのうち被告の認否(三)の(a)、(c)の各事実は当事者間に争いがない。
第二公務上災害の診断基準について
一原告は、公務災害補償制度の目的から、公務上の災害と認定するには、被災職員の発症ないし死亡に公務関連性があれば足る旨主張する。
しかし、地公災法が、労働者災害補償法、国家公務員災害補償法などと同様に、労働基準法の使用者による災害補償制度を基礎に発展してきた労災補償制度の一環であること、現行の労災補償制度は、労働者の私生活領域における一般的事由により生じた傷病から区別して、労働関係に内在ないし通常随伴する危険により生じた労働者の死亡、負傷等の損失を、その危険の違法性や使用者の過失の有無を問わず、いわゆる従属的労働関係に基づき労働力を支配する使用者の負担において補償しようとするものであることに照らし、地公災法による職員の災害補償の対象は公務により生じた死亡等に限られるのであって、公務に関連する発症ないし死亡のすべてを補償の対象とすべきものと解することはできない。したがって、原告の右主張は採用できない。
二地公災法三一条にいう「職員が公務上死亡した場合」とは、職員が公務に因り死亡し、負傷し、若しくは疾病にかかり、若しくはこれらにより死亡したものを指し(地方公務員法四五条一項参照)、右の死亡、負傷又は疾病と公務との間に相当因果関係のあることが必要であり、かつ、これをもって足る(最判昭五一・一一・一二集民一一九号一八九頁参照)。そして、公務上災害であることを主張する原告において、この事実と結果との間の相当因果関係を是認しうる高度の蓋然性を証明する責任、即ち、通常人が合理的疑いを差し挟まない程度に真実性の確信を持ちうる程度の立証をする責任があると解するのが相当である(最判昭五〇・一〇・二四民集二九巻九号一四一七頁)。
三なお、原告は相当因果関係の内容が不法行為におけるものより軽減されるべき旨主張するが、公務災害と認めるのに必要な相当因果関係は、使用者である地方公共団体自身において、予見していた事情、及び健全な常識と洞察力のある者が認識し得た一切の事情を前提として、公務によって所属職員の疾病または死亡が生じたもので、これが公務に内在し又は通常随伴して生ずるものといえるものであること、即ち、公務なければ疾病、死亡がないといえる関係、または、それが同種の結果発生の客観的可能性を一般的に高める事情にあると判断されることが必要である。
民法の不法行為では、事実上の因果関係と保護範囲ないし額の問題とを区別する必要が生ずるのに対して、地公災法の死亡、疾病と公務の起因性においては、その保護の範囲ないし額は一定であって、公務起因性が認められる以上、その責任の範囲ないし額に差異を設ける余地はない点で、不法行為の事実上の因果関係と異なる面があり、公務起因性の場合には前示のとおり、相当因果関係につき結果発生の客観的可能性の予見ないし予見可能性が必要であると考える。しかしながら、この相当因果関係は、この点を除き、不法行為における相当因果関係と異ならないのであって、その内容において、これに比較してより軽減すべきであるとの根拠はなく、原告の右主張は失当である。
四他方、被告は、被災職員の死亡が公務上の死亡と認定されるためには一定の時間的限定をもった明確な事由としての「災害」の存在が必要である旨主張する。
しかし、右の意味における「災害」の存在は、相当因果関係の存在を明確に判定するための一要素ではあるけれども、これが地公災法の補償の要件であるということはできない。即ち、地公災法三一条等が補償の要件として、単に「公務上の死亡」等を挙げるのみで、これと区別された被告の主張する不慮の出来事という意味での「災害」を必要とする旨の規定は存在せず、かえって、同法一条は、災害とは「負傷、疾病、障害又は死亡をいう。」と定義しているのであって、被告の主張は実定法上の根拠を欠くこと、現行労災補償制度が、沿革的に右の意味における災害(施設欠陥、天災地変、第三者の行為等)のみにとどまらず、これによらない業務上疾病(災害性疾病と職業性疾病)をも併せて補償の対象としていることに照らすと、被災職員の死亡が必ずしも被告がいう「災害」によって生じたものではなくても、死亡ないしその原因となった負傷ないし疾病と公務との間に相当因果関係がある限り「公務上の死亡」と認定すべきものである。したがって、被告の右主張は採用できない。
五さらに、被告は、脳血管疾患の公務(業務)上外認定について人事院通知、労働省労働基準局長通達が存在したこと、右通知等は昭和六二年に改正され、国公災法に関し新指針が、労災法に関し新基準が出されたが、本件もこれに即して公務上外の認定判断をすべきである旨主張する。
なるほど、<証拠略>、弁論の全趣旨によると、被告主張の通知ないし通達が存在し、その後、被告主張のとおりの新指針等が出されていることが認められる。しかし、その指針の趣旨は、右新指針等に適合する事実のある認定請求について公務(業務)上災害の認定をすべきであることを示すものであるが、この新指針等に適合しないことのみによって、公務外認定をすべきことを求めるものとはいえないし、もとより裁判所がこれに拘泥して新指針等に該当しないとの一事をもって、公務外認定をすべきものではない。
即ち、もともと右基準ないし指針は、いずれも行政庁である人事院ないしは労働省が、公務(業務)上外認定を適正、迅速かつ全国統一的に遂行する必要上各疾病の種類に応じて作成した下部行政機関に対する運用の便宜のための基準を示した通達であって、もとより裁判所の判断を拘束するものではない。
しかも、<証拠略>によれば、新基準自体において、(解説)5(3)ロで「この認定基準により判断し難い事案」については、「本省にりん伺すること」と定め、その第1部「認定基準について」7(3)②で「(業務による)継続的な心理的負荷に対する心理学的・生理学的反応は、個人によって著しい差を有するものであり、継続的な心理的負荷と発症との医学的因果関係も確立していない。したがって、医学的資料とともに、業務による継続的な心理的負荷によって発症したとして請求された事案については、専門的検討を加える必要があるので、本省にりん伺することとしたものである」旨の説明が付されており、とくに、労働省の新基準作成に当たった専門家会議の「過重負荷による脳血管疾患及び虚血性疾患等の取扱いに関する報告書」において「Ⅳ2今後の検討課題」として、「近年いわゆる業務による諸種の継続的な負荷、中でも心理的負荷と脳血管疾患及び虚血性疾患等の発症との関連性が推測されているが、反面詳細について医学的に未解明の部分があり、現時点では、過重負荷として評価することは困難である、したがって、この分野における医学的知見の収集を図るとともに、個々の事例については、それぞれ専門的検討を加え慎重に判断していく必要がある」旨の報告がされていることが認められる。
以上の諸点を考慮すると、右指針等は、もともと行政の適正、迅速処理のための簡易な判定基準に過ぎないものであり、したがって、右指針等を本件の公務上外の判断基準にそのまま使用し、本件がこの指針等に当たらないからといって、直ちに公務起因性を否定すべきであるとの被告の前示主張は採用できない。
第三豊一の発症、死亡と公務との相当因果関係の検討
豊一の死亡が公務上の死亡であるというためには、前示のとおり公務と死亡との間に公務関連性があるのみでは足らず、相当因果関係が必要であるところ、原告は、豊一の死因となった発症と公務との間に相当因果関係もある旨主張するが、被告はこれを否認して公務起因性がないと主張し、本件の中心的争点となっているので、以下この点につき順次検討していく。
一豊一の発症までの公務と発症の経過
<証拠略>、前示当事者間に争いのない事実、弁論の全趣旨を総合すると、次の事実を認定することができ、この認定を左右するに足る証拠はない。
1 豊一の職歴
豊一は、大正一一年一月五日生まれであり、被災当時五六歳であったが、昭和二五年九月京都市教員として助教諭に任命されて京都市立の久多中学校に勤務し、次いで同二六年七月に教諭に任命されて、同中学校のほか、加茂川中学校、洛北中学校、高野中学校、下鴨中学校に教員として順次勤務した。
2 豊一の高野中学校における勤務等
(一) 豊一は、高野中学校に昭和四七年四月から同五三年三月まで六年間在職した。同校はいわゆる同和関係校であり、豊一はその関係の生徒の指導教育をも担当した。同校勤務の最終年度の昭和五二年度の職務内容としては、教科担当、クラス担任その他の通常の校務のほか、同和地区生徒に対する毎週の学習会活動、毎月の家庭訪問、校務分掌上の庶務部長、育友会書記、互助・共済組合担当、クラブ顧問などがあった。
(二) 教科担当は理科で一週間の授業時間数は道徳と学活(学習活動)の各一時間を加えて計一八時間、クラス担任は一年生で二人担任制がとられており、同和地区生徒に対する学習会活動は三八回、六七時間で、家庭訪問は三九回、五九時間でいずれも職員平均値より若干低い値である。なお、中学校における標準的な受け持ち授業時間数は、二四時間程度であって、同和加配、クラス担当などで一定程度軽減されていた。
(三) 校務分掌として、庶務部長の職にあったが庶務部には豊一の他に備品担当二名、営繕担当五名、経理担当二名が配置され事務を分担していた。
職務としては、かなり忙しく、正規の残業時間がどの程度あったかは不明であるが、いわゆる持ち帰り残業として自宅において処理することもあった。
(四) 豊一は、高野中学校においては、以上のような学習会、家庭訪問、育友会等により週平均二〜三回、午後七時から九時頃まで勤務する必要があった。
(五) 豊一は、下鴨中学校に異動する直前の春休み中も、完全に休養に充てることはできず、指導要領、観察記録等の作成、担当の理科教室の移動などがあったが、三月二九日、三一日は自宅研修として登校しなかった。
3 下鴨中学校における勤務
(一) 豊一は、昭和五三年四月下鴨中学校に異動し、同日から発症当日の同年五月一二日まで同校に勤務した。
豊一は、三年のクラス担任となり、一般の教科指導のほかに進学問題に関する職務にもとりかかった。同校の校風は高野中学校と異なり、進学にとくに熱心な親達も多いことから来る苦労もあった。
(二) 出勤状況としては、四月二日、九日、一六日、二三日、二九日、三〇日、五月三日、五日、七日の日曜日及び祝日の休日を取ったほか、四月三日、四日、六日は春休み期間中であったため自宅待機となっており、授業についても、四月八日の始業式を経て四月一〇日以降開始され、一三日までは半日授業であった。
豊一の右期間中の退庁時間はおおむね午後六時ころまでには退庁していた。
(三) 修学旅行については、同年五月一二日から予定されていたが、準備作業は着任前の二年生の時点で九〇パーセントが確定して、文書化されていたが、なお、これに向けての職務も極めて雑多なものが残っていた。
同年五月初めころ、豊一は風邪に罹患し、そのうち声も出なくなったが、修学旅行の日程が迫っていたこともあり休むこともなく、黒板に説明事項を記載しながら勤務を続けたが、風邪で寝込むこともなかったし、また、治療のため医者にかかることもしないで、市販の風邪薬を服用し、完全に症状がなくならないまま修学旅行の当日に至った。
以上のとおりの事実を認めることができ、他に右認定を覆すに足る証拠がない。
4 豊一の発症当日の職務及び発症の経過
<証拠略>、前示当事者間に争いのない事実、弁論の全趣旨を総合すると、次の事実を認めることができる。
(一) 修学旅行は、昭和五三年五月一二日から同月一四日までの日程で行なわれた。修学旅行参加の生徒数は八クラスで約三四〇余名であり、その引率にあたり、直接的な生徒の監督に当たる「生徒指導」の分掌には富田教諭他八名が充てられ、豊一の分掌は他の二名の教諭とともに「生徒指揮」であり、その内容は生徒の移動時期における引率教員間の連絡や行動の指示等であり、引率の教員等は総勢で校長以下一五名、他に付添医師が一名であった。
(二) 豊一は、昭和五三年五月一二日、修学旅行の引率のため、午前六時台に起床した。自宅を出るに当たり、同人は、風邪の症状がなくなっておらず、体調が良好ではなかったので、妻である原告は、豊一に修学旅行引率を休むことを勧めてみたが、豊一は大丈夫である旨返答して市販の風邪薬とビタミン剤を持って出発した。
(三) 修学旅行は同日午前八時二〇分京都駅八条口集合であったので、豊一は、そのころまでには集合場所に到着し、生徒の点呼を取り、持物検査等を行なった。参加生徒の一名が集合時間には遅刻をしたが出発時間までには到着し、事故もなく出発することができた。
そのころの豊一の様子については、多少声が出し難く、顔色が優れないように感じる者もあったものの、とくに異常を感じる者はいなかった。
修学旅行は午前九時九分京都駅を新幹線で出発し、三島駅に向かった。新幹線の中で、豊一は、午前一〇時ころ、添乗員が持ってきたジュースを飲まなかったが、普通の状態で過ごしており、生徒からの注文の写真撮影には応じるなどしていた。午前一一時ころ、昼食の折り詰め弁当が配られ、豊一はいったん席を立ち生徒に対する昼食指導をしたのち、自らも弁当を食べたが、三分の一ほど残した。
(四) 列車は午前一一時五九分三島駅に到着し、豊一ら引率の教員らは生徒の点呼をとり、午後零時一五分ころ同駅からバスで出発した。バスの進行には、とくに変わったこともなく、はじめは道路が平坦で屈曲も少ない状況であったが。次第に登りの坂道で曲折も多くなった。
豊一は、常にバスの左側の最前列の座席に座っていたが、バスの出発後三〇分ほどした午後零時四五分ころ、運転手の後の最前列右側の席に座っていた同僚の佐々木保憲教諭に「バスに少し酔ったようだ。」と気分が悪い旨訴えたが、座席には普通の状態で腰を掛けていた。
そのころ、豊一の状態の詳細については、豊一の様子を注意深く観察した者もいないし、また、豊一の様子に特段の異常がなかったせいか不明であり、豊一が、はたして、顔を窓側に向けじっと動かないままの状態であったかどうかについては確たる証拠がないが、静かにしていたことは認められる。
(五) 同零時五〇分頃バスは山道でますますカーブが多くなってきた。豊一は、頭痛めまいがするといい、バスに酔うとは珍しいと前記佐々木教諭に述べている。
(六) バスは、午後一時一〇分ころ、元箱根に到着し、当初予定した駐車場が満車で停車できず、代わりに若干足場は悪いもののバスの停車可能の場所に停車し、生徒と引率の教員らは予定されていた杉並木等の見学に出発した。しかし、豊一だけは、一旦はバスから降りて暫く散歩したもののまだ気分がすぐれない様子で、車中に戻り、前同教諭に気分が優れないから残る旨を告げて見学に参加しないでバスの座席に半ば横になるようにして休み、見学を終えた生徒らの集合場所である芦ノ湖畔に移動するバスに乗って移動した。見学後の生徒らのバスへの乗車予定地も当初予定の駐車場が満車で他の駐車場にバスは停車した。そして、同所で生徒達がバスに戻るのを待つこととなったが、豊一は、再びバスを降り、両腕を腰にあてて首をゆっくり前後に曲げるなど軽い体操をしたり、近くの芝生に横になったり、また、静かに座ったりしていた。
午後二時三〇分ころ、生徒らが見学から帰り、再度バスで大涌谷に向けて出発したが、バスに乗車するに際し、豊一は、他人の助けを借りることなく乗車した。そのころの豊一の様子を見て、医師の診断や治療を受ける必要を考慮するような異常を感じる者はいなかった。
大涌谷に向かう途中バスは、いよいよ山道にかかり、道路もカーブが多く、豊一の様子は、頭痛、めまい等を訴え、窓を開き時々吐き気を催してビニール袋を口にあてがってはいた。しかし、嘔吐物は出なかったし、座席には通常の姿勢で座っており、横臥したり座席から転げ落ちるようなこともなかった。
バスは、午後二時五〇分ころ大涌谷駐車場に到着し、生徒らは予定されていた大涌谷の見学に出かけたが、豊一は顔面が蒼く、今度はバスから降りず、座席に座ったまま、佐々木教諭に気分が優れないからバスに残らしてもらう旨告げて残った。その際、見学に出かけるためバスから下車する佐々木教諭や数人の生徒から、豊一に対し、健康を気づかう声がかけられたが、これに対し、豊一は佐々木教諭や生徒の一部に対してうなずいたり、応答をしていたものの、一部の生徒には返答もしないで座席に座って眼を閉じたままであったので、生徒のうちには、豊一が疲労しているものと感じた者もいた。また、一行が見学に出かけた数分後にバス内にカメラを取りに戻った生徒には、豊一が疲れて寝ているように見えたりもした。しかし、バス内に残った運転手は、豊一に声をかけたりしたが、格別に異常を感じることもなかった。
(七) 午後二時五五分ころ、女子生徒がカメラを取るためバスに戻り豊一の肩を二回程度叩いて、起きているかどうかを確認したが、とくにうなずきもせず、頭を上に向けて手足を投げ出すようにしてぐったりしていた状態で、顔は青ざめていた。
(八) 午後三時二五分ころ同僚の楠見教諭が、豊一が全員の記念撮影にもバスから出てこないをの不審に思い、その様子を見にバス内に入り、座席に座った状態の豊一に声を掛けた。しかし、豊一から返答はなく、豊一の肩をゆすったところ、同人はがくっと頭を垂れ、しかも顔面は蒼白であったので、楠見教諭は、初めて豊一の異常に気づき、直ちに付添医師の山雄健次を呼んだ。
午後三時三〇分ころ、駆けつけた同医師が豊一を診察したが、同人は、顔面蒼白で、脈はなく、呼吸は停止し、瞳孔も散大していた。
そこで、救急車が要請され、豊一は、午後三時四五分ころ到着した救急車に午後三時五〇分ころ収容され、酸素マスクによる酸素吸入と心臓マッサージを受けながら、箱根二の平医院に搬送され、午後四時五分到着した。
同医院に搬入されたときは、同医院の佐野節夫医師の診断によれば、豊一は、意識昏睡、四肢は弛緩、顔面蒼白、チアノーゼがあり、瞳孔散大、呼吸停止、脈拍停止、心音なしという状態であり、一応死亡と認められる状態であったが、同医師は、酸素吸入、人工呼吸、心臓マッサージ、心臓注射、点滴の措置をとり、心電図をとったが、心臓マッサージに対して心電図はごく小さな振幅で不規則な波動を示したのみで、同日午後四時三〇分、心臓マッサージを中止すると心電図の反応が完全に停止したので、これにより豊一の死亡を確認した。
(九) 同医師は、豊一を事前に十分な診察をしたものではなく、死亡原因を把握しえなかったので、死亡診断書の作成をすることはしなかった。そのため、警察に連絡のうえ、死体検案が行なわれた。その際、同医師は、豊一の後頭下穿刺したとき血性髄液が勢い良く出てきたので、頭蓋内出血の量は二〇〇cc以上であると考えられ、死体検案書に、死亡年月日時分を昭和五三年五月一二日午後四時二〇分頃推定、死亡の場所を箱根二の平医院、死亡の種類については、「病死及び自然死」欄に丸印を付け、直接死因を脳内出血と記載し、発病より死亡までの期間を数分と記載した。
その後、豊一の死体は解剖に付されることもなく、脳内出血の出血箇所の具体的な特定もなされないままに終わった。
以上のとおり認めることができ、右認定を覆すに足る証拠がない。
二豊一の発症に至るまでの健康状態
<証拠略>、弁論の全趣旨によると、次の事実を認めることができる。
豊一は、昭和二五年九月以来京都市立中学校に教員として勤務したが、昭和四三年一〇月ころから肺結核の症状が認められ、昭和四六年ころにかけて自然に治癒して、昭和四七年、五一年、五二年には陳旧性肺結核の痕跡を残すが、その後取り立てた異常がなくなり、血圧については昭和三四年以降、ずっと定期健康診断の測定時には正常であり、昭和五一年は一二二/七六、昭和五二年は一一〇/六〇であった。また、検尿でも昭和五二年蛋白(―)、糖(―)であり、昭和五二年の胃検診異常なしであり、糖尿病その他の代謝異常等の病気も見られないままの健康状態で過ごしてきた。
以上のとおり認めることができ、右認定を覆すに足る証拠がない。
三豊一の発症、死因の検討
1 当事者の主張
(一) 原告は、請求原因(三)(1)のとおり、豊一の死因が小脳出血であって、過重な公務のため疲労が蓄積し、ストレス、緊張のため小脳動脈の血管壁を脆弱化させて、血管壊死を来たし、それが修学旅行引率により一過性の血圧上昇により壊死状態の小脳内血管が破壊して小脳出血を来たしたものである旨主張する。
(二) 被告は、前示被告の主張二2(二)のとおり、豊一の死因は脳動脈瘤破裂によるくも膜下出血であって、先天的中膜欠損に日常の血圧、血流の負荷によっても破裂すべき状態にまで肥大化した脳動脈瘤がたまたま公務遂行中に破裂したにすぎないと主張する。
2 死因判定の要否
豊一の死因が脳出血によるものであることは前認定一4(八)、(九)の事実と弁論の全趣旨によりこれを認めることができ、また、この事実と<証拠略>に照らし、これが小脳出血か脳動脈瘤破裂のいずれかであって、それ以外の原因を否定できることが認められる。
そして、この小脳出血か、脳動脈瘤破裂かという死因論争が、本件の最大の争点になっているが、この両者とも公務起因性が認められる場合、及び両者ともこれが認められない場合には、相当因果関係の認定上、そのいずれであるかの確定をすることを要しないものである(最判昭三六・二・一六民集一五巻二号二四四頁参照)。しかし、この両者の間で公務起因性、即ち、相当因果関係の判定に差異が生ずる場合には、そのいずれであるかを認定する必要が生ずるので、まず、前認定一の発症までの公務と発症の経過、同二の発症までの健康状態の各事実を踏まえつつ、以下、専門医師の意見、小脳出血、脳動脈瘤の臨床症状、機序、診断法などに照らし、その判定を試みる。
3 小脳出血か脳動脈瘤か―をめぐる意見
本件の証拠として提出された専門医師、医師などの見解は、次のとおり小脳出血説と脳動脈瘤破裂説、断定不能説とが対立している。
(一) 各説の内容
(1) 小脳出血説
イ 天理よろず相談所病院脳神経外科医学博士鍋島祥男
<証拠略>によれば、天理よろず相談所病院脳神経外科医学博士鍋島祥男は、次のとおりその意見を述べている。
① 一般に、脳動脈瘤破裂によるくも膜下出血の症例のほとんどが頭部あるいは頂部に経験したことのないような激しい痛みを訴え、一過性の意識消失を伴って発症し、さらに、脳動脈瘤破裂により短時間で死亡する場合は発症直後より深い昏睡を来たし意識の改善を認めることなく死亡するのが通常の臨床経過である。ところが、豊一は、三島駅からバスに乗車後三〇分してから不快を訴え、その後症状が増悪し、一時間後には頭痛、吐き気、めまいが出現し、意識も次第に障害されつつあるものでこれに合致しないから、脳動脈瘤破裂によるくも膜下出血の可能性は〇パーセントに近い。
② 他方、脳実質内出血の場合、通常は、頭痛、意識障害、片麻痺、言語障害等の神経学的脱落症状をもって発症するが、約三分の一の例では発症直後には意識障害を欠くか又これが見られても軽微である。
脳実質内出血で臨床的に血性髄液の証明される症例は、視床部に出血し脳室内穿破を来たした症例や小脳出血より第Ⅳ脳室に穿破した症例にみられることが多く、本症例では神経学的脱落症状は認められていないことにより視床部に出血し脳室に穿破した可能性が示唆されるが、短時間で死亡に至る例は非常に少ないと考えられる。
脳実質内出血で本症例のような臨床経過をとる可能性が最も高いと考えられるのは、劇症型の小脳出血である。小脳出血は脳内出血の約一〇パーセントに見られ、高度のめまい、嘔吐、歩行失調などの症状で発症するものであり、そのうち急激な経過で意識消失し死亡に至る劇症型があり、本症例の如く片麻痺やけいれん発作のみられないことなどが大脳出血との鑑別上有用であるとされており、したがって本症例がいわゆる劇症型の小脳内出血で死亡した可能性が最も高いと考えられる。
以上により、豊一の疾病を小脳出血であると判断している。
ロ 滋賀医科大学医学部脳神経外科文部教官教授半田譲二
<証拠略>によれば、滋賀医科大学医学部脳神経外科文部教官教授半田譲二の意見は次のとおりである。
脳動脈瘤破裂のうち、約一〇パーセントは破裂と同時に突然死をとげ、あるいは破裂と同時に昏睡に陥り、その後も急速に悪化して速やかに死亡するとされるが、豊一の発病からの経過はこれに一致しない。右の超重症例を除き、脳動脈瘤破裂のほとんどの症例は、全く突然に今まで経験したことがない様な激烈な頭痛が急激に発現して発症する。多くの例は発作時多少とも意識障害を伴い、また大多数例で頑固な悪心、嘔吐、項頭痛、項部強直、羞明を訴え、その症例は特異である。
豊一は、午後零時一五分ないし四五分ころと推定される発病当時意識は保たれ、「気分が悪い」、「酔ったらしい」と訴えながら、脳動脈瘤の診断の最大の臨床的根拠である右のような特徴的な激烈な頭痛は全く訴えていないから、豊一の疾病を脳動脈瘤破裂と考えることは極めて不自然であり、頭痛も意識喪失もないごく軽症の例であったとすればその後数時間で死亡するに至った経過が説明しがたい。
これに反して、豊一の疾病が小脳出血で、その拡大により脳幹圧迫を来たすに及んで急激に悪化し、死の転機を示したものと考えることは神経学の症候論上なんら矛盾がない。
通常、脳内出血のうち小脳出血は約一〇パーセントを占め、身体動揺感、めまい等で初発し、小脳失調があっても運動麻痺を欠くため四肢の運動障害を自覚しないことが多い。しばしば発病当初は強い頭痛も欠く。血腫が漸次増大して脳幹に圧迫を加えるようになると、脳幹障害のため意識レベルの低下、呼吸障害、循環不全などが出現し、放置すれば急速に以後悪化して昏睡となり呼吸麻痺を来たして死の転機となる。
豊一は、頭部激痛、意識障害で発症した形跡を欠き「バスに酔ったよう」、「気分が悪い」等と訴えたが、これは身体動揺感、めまい、悪心(むかつき)等の表現と考えて矛盾はない。また、報告書に「顔を窓の側に向けじっとしていた」とあるが、小脳出血時頭部を一定の位置に固定し、これを動かすとめまい、悪心などが増強されるため、じっと動かさずにいることはしばしば観察されることで、豊一もこのような状態にあったとも考えられる。午後二時三〇分には強い頭痛とともに「めまい」があったことがはっきりと報告書に記載され、さらに悪心、嘔吐も認められている。その後の悪化は急速で、午後三時三〇分には意識はなく瞳孔散大、呼吸停止の状態であったが、この頃には小脳血腫の増大により脳幹圧迫が発現進行したと考えれば説明可能な経過である。なお、小脳出血が拡大すれば容易に第四脳室に穿破して髄液は血性となることも周知の事実である。
としたうえ、豊一の疾病を小脳出血と判断している。
ハ 倉敷市中央病院脳神経外科医師新宮正
<証拠略>によれば、倉敷市中央病院脳神経外科医師新宮正の意見は次のとおりである。
豊一に①強度の頭痛が初期症状として認められないこと、②意識障害が、発症初期には全く認められず、死の直前にいたって急激に発生し増悪していることから脳動脈瘤破裂によるくも膜下出血と考えるのは症候論的にみて不合理であり、また、脳実質内出血の髄液腔内への穿破と仮定した場合には、③巣症状、特に運動まひを伴っていないことから、天幕上の脳実質内出血は想定しがたい。
小脳出血と仮定した場合には、①から③まで何らの矛盾なく説明可能であり、④バス酔いと区別しがたい症状によって発症している事実も、小脳出血の局在論的見地から容易に説明し得る。
として、豊一の疾病を小脳出血と判断している。
(2) 脳動脈瘤破裂によるくも膜下出血説
イ 京都府立医科大学講師小竹源也
<証拠略>によれば、京都府立医科大学講師小竹源也の意見は次のとおりである。
豊一は当日のバス運行中には頭痛、悪心、めまい等を訴えていたとしても、停車直後を除くと車外ではその様な陳述、証言はないし、顔面は蒼白かったようであるが、それは乗物酔の症状であり、死亡直前まで急性頭蓋内圧亢進症状があったとする事は困難である。したがって、風邪をひいて自律神経のバランスの崩れやすい状態あるいは薬剤の影響下にある豊一が乗物酔になったとしても不思議ではない。大涌谷で感冒ないし乗物酔のため車内に残っていた時点では致命的な頭蓋内出血が発生したと考えるべきである。その発生時刻は、生徒がカメラをバスに取りに戻った時点ころ、即ち、バス到着後まもなくと推定される。
小脳出血は初期起立歩行不能、構音障害、顔面神経麻痺があるが、豊一の場合ふらついて歩いていたとか、よろけるように歩いていたとか、呂律が回らない、顔が歪んでいたとの証拠がなく、少なくとも午後二時三〇分までは起立歩行可能であったといえるから、小脳出血とはいえない。
五六歳で高血圧症の既往症がなく、死亡直前まで意識障害もなく片麻痺等の局所的神経症状が明らかでなかったことを考慮すると、大涌谷バス内で脳動脈瘤が破裂し、頭痛を訴えるまもなく一瞬のうちに意識を喪失して、急死したと考えるのが最も適当である。
以上のとおり、豊一の死因は脳動脈瘤破裂であると判断している。
ロ 医師佐野節夫
同医師は、次の(3)断定不能説イのとおり、判定不能であるが、豊一の死因を脳動脈瘤破裂によるくも膜下出血と推測すると述べている。
(3) 断定不能説
イ 医師佐野節夫
<証拠略>によれば、前記のとおり救急車で運びこまれた豊一の診察、治療に当たり、更に、死体検案をした箱根二の平医院の医師佐野節夫は、出血箇所や出血原因を判定することはできない。ただし、豊一の死因を脳動脈瘤破裂によるくも膜下出血と推測するとしていることが認められる。
ロ 山雄健次医師
<証拠略>によれば、付添医師であった山雄健次は、豊一の発症につき、くも膜下出血の可能性が大きいが、脳内出血による脳室内穿破の可能性もあり、くも膜下出血と断定することはできない。くも膜下出血の原因としては、脳動脈瘤破裂が考えられるが、断定できないとしていることが認められる。
(二) 検討
(1) 本件死因判定の特異性と困難性
本件は、前認定のとおり、豊一が修学旅行中、ひとりバスの座席に残り発症したもので、異常が発見され、同行医師が診察したときは既に呼吸が停止し、脈拍もなく、瞳孔が開いていた。そして、医学的な検査ないし客観的なデータとしては、死亡の確認後、箱根二の平医院で佐野節夫医師が死体検案の際行なった後頭部下穿刺により血性髄液が確認されただけである。しかも、小脳出血か脳動脈瘤かの判定は、本来微妙であるうえ、通常、脳内出血の部位を特定するための解剖所見や、死亡に至るまでに医師の専門的な治療・観察が必要であるといわれているから、これのないままでその判別を行なうことはもともと極めて困難な作業である。そこで、当裁判所は、前認定の豊一の当日の言動と、本件証拠に現れた専門的文献などに指摘されている小脳出血、脳動脈瘤の各機序、臨床症状等とを対比し、とくに前示専門医師などにより指摘されている両者の前駆症状との適合性ないし矛盾の有無を中心に検討していくこととする。
(2) 機序、臨床症状等
イ 小脳出血
①機序ないし誘因 一般に小脳出血は、脳血管とくに中大脳動脈穿通枝(perforators)に類線維素変性(fi-brinoid degeneration)が起こり、そのため血管壊死または小動脈瘤を来たし、出血するものと理解されており、小脳部の血管壁が破壊されることによって生ずるものであって、その血管壁破壊の原因は、小脳部に脳動脈瘤等の基礎疾病がない限り異常亢進した血圧、つまり高血圧であるとされている<証拠略>。小脳出血の三分の二は高血圧小脳出血である。残りの三分の一は動静脈奇形、出血性傾向(blood dyscrasias)、外傷、腫瘍、抗凝固剤、動脈瘤破裂などによる。高血圧性小脳出血は五〇歳以上に多く、若年者では動静脈奇形、出血性傾向、外傷による場合が多い<証拠略>。
②臨床症状 一般には突発する激しい頭痛、目まい、反復する嘔気、嘔吐をもって始まり、四肢に明らかな麻痺を認めないにも拘らず、起立、歩行不能が発症する。発作直後に意識消失することは少ないが、大多数は意識障害を伴ってくる。神経学的症状としては、対光反射の認められる縮瞳、注視麻痺などの眼症状のほか、病側四肢失調、末梢性眼性神経麻痺を伴う。片麻痺はない<証拠略>。
もっとも、小脳出血では出血量の大小によって症状はかなり異なる。即ち、①致死的大出血では急激に昏睡に陥り、頻回の嘔吐、呼吸不整を来たすが、②出血量が少ない場合は、意識がほとんど障害されないので、いわゆる小脳障害が表面にあらわれる。即ち、発作は強いめまい、後頭部痛、嘔吐、運動失調、筋緊張低下、眼振、企画しんせんなどがみられるが、めまい障害が少ないのも特徴といえる。統計的には小脳出血の約三分の二が一側半球にのみ出血するので、病側を示した小脳症状が多い。McKissockが報告した三四例の小脳出血のうち、二八例(八二%)が急激な発症を示し、そのうち一八例は最初に意識消失はなく、また一一例は一二時間より三日の間に意識が消失した。意識があるものでの初発症状は後頭部痛と嘔吐がもっとも多く、ついで急激なめまい、運動失調、手足の不器用がみられ、まれに神経錯乱や片麻痺もあった<証拠略>。
なお、このほか、初発症状として、構語障害、平衡障害、小脳失調、嚥下障害などが認められるが、発作当初より、意識障害を示す例は五分の一と少ないとの指摘もある<証拠略>。
③診断 臨床経過、神経学的所見のみで、高血圧性小脳出血の診断をすることは、必ずしも容易ではなく、補助診断法との併用が必要となる。CT scan、脳血管撮影を行うべきであるとの指摘がなされている<証拠略>。
④頻度 小脳出血は特発性脳出血全症例中の約一〇パーセントを占める。これは頭蓋内の全脳容量に対する小脳の占める割合に比例する<証拠略>。なお、脳内出血の出血部位としては、大脳(八〇%)、橋・延髄(一〇%)、及び小脳出血(一〇%)などで、大脳出血が断然多い<証拠略>。小脳出血のうち、めまい、嘔吐、及び頭痛で発症した例は八四パーセントであり、小脳出血の意識清明期(lucid period)は三時間内二一パーセント、3.5時間〜3.5日が五八パーセント、発症より意識が保たれlucid periodのないものが二一パーセントである<証拠略>。
ロ 脳動脈瘤破裂によるくも膜下出血
①機序ないし誘因 脳動脈瘤は、医学上一般に、脳動脈の血管分岐部の先天性の中膜欠損に、血圧、血流の負荷が加わって嚢状に拡大するといわれている発生学上の一種の奇形を基盤とする疾病であることが大多数で、先天的に発生し自然に成長するものであるとされている。もっとも、この先天的脳動脈瘤のほか、細菌性脳動脈瘤、動脈硬化性脳動脈瘤、外傷性脳動脈瘤、梅毒性脳動脈瘤があるが、それらは極めて少数である<証拠略>。
また、一般に脳動脈瘤の破裂は、時、所を選ばずいつでも起こるといわれている。
しかし、ロックスレイの報告によると、くも膜下出血の発症の誘因ないし環境因子として、三六%が睡眠中または休息中、三分の一は任意の活動中に起こっている。しかし、ある種の特殊な状態(偶然の合併として)が予想される以上の頻度で(くも膜下出血に)合併していた。その様な状態のうち目立ったものとしては、(重量物の)挙上、(身体の)屈曲、情動的にストレスが加わった状態(精神的興奮)、性行為、咳嗽、排泄(排尿、排便)などの肉体的、精神的負荷時にも約三〇%が出現している<証拠略>。
そして、一日のうち八時間(三分の一日)を睡眠時間とすると仮定すると、くも膜下出血(subarachnoid hemor-rhage, SAH)の約三分の一がこの間に起こっていることからみて、いかなる時間にも不規則(at random)に起こることを示唆しており、また、このように特別の外的ストレスのない状況でもSAHの三分の一が起こっていることからすると破裂が外的ストレスと特別な相関関係にないことを示しているともいえる。しかし、残りの三分の一が性交や排便などの肉体的または精神的緊張時に発生しているが、性交や排便がどう長く見積もっても八時間になるとは考えられず、その短い時間内にSAHが三分の一も発生するとすれば、外的ストレスがSAHに関与したと推認でき、外的ストレスと無関係に起こるという仮説を否定する材料となる(ロックスレイ、<証拠略>)。
②臨床症状 クモ膜下出血は突発する激しい頭痛であり、「引き裂かれたような」「頭の中の爆発が起こったような」などの形容が用いられており、67.9%は高度の痛みで持続性のものが多く、拍動痛を混ずるのは28.6%である。脳動脈瘤の場合、破裂に先行して警告症状が認められることがある。その頻度は二七ないし六〇%と諸家により異なるが、この警告症状は三群に分かれ、第一群は動脈瘤及び近傍動脈の圧迫による症状で、視野障害(2.1%)、眼球運動障害(7.4%)、眼痛(4.2%)、顔面痛(2.1%)、局所性頭痛(17.9%)、トータルで33.7%、第二群は小出血による症状で、全般性頭痛(25.2%)、嘔気(5.3%)、頚背部痛(6.3%)、嗜眠(8.4%)、羞明(1.1%)などトータルで46.6%、第三群は血管攣縮、閉塞による局所虚血症状であって、平衡感覚消失(4.2%)、めまい(4.2%)、下痢(3.2%)、体熱感(2.1%)、運動障害(1.1%)、感覚障害(1.1%)、幻視(1.1%)、抑うつ(1.1%)、トータルで二〇%であるとの報告があり(Okawara. 1973)、警告症状は概ね、全般性頭痛(25.2%)、局所性頭痛(17.9%)が多く、この点はロックスレイの報告でも同様である<証拠略>。
③診断 くも膜下出血は前示臨床症状により診断されるが、一般に、その診断基準として「1起始は激しい頭痛2項部硬直、Kernig Brudzinski現象の陽性、3血性髄液、4局所神経症状の欠如、5意識障害はむしろ一過性、6硝子体下(網膜前)出血」などが挙げられている(文部省総合研究班・脳卒中の診断基準、<証拠略>)。
④頻度 脳血管障害の約一〇%を占める。出血の原因は、その約七〇%が脳動脈瘤破綻による。五〜一〇%が動静脈奇形からの出血、約二〇%が原因不明とされている<証拠略>。
以上の機序、臨床症状、診断、頻度の各事実は、前掲(一)挙示の各証拠、成立に争いがない前示各項目の括弧内に挙示の各証拠、弁論の全趣旨によりこれを認めることができ、他に右認定を覆すに足る証拠はない。
3 判断
(一) 豊一の発症当日の問題行動
前認定一4の事実から次の豊一の発症当日の問題行動を抽出することができる。
前認定(四)の昭和五三年五月一二日午後零時四五分ころ、豊一がバス内で「バスに少し酔ったようだ。」と訴えたが、座席には普通の状態で腰を掛けていたこと、同(五)の同午後零時五〇分頃豊一本人は、頭痛、めまいがするといい、バスに酔うとは珍しいと述べていること、同(六)の(1)の同午後一時一〇分ころ、生徒と引率の教員らが見学に出発したのに豊一だけが、一旦バスから下車し暫く散歩したもののまだ気分がすぐれず、車中に戻り、バスの座席に半ば横になるようにして休み、見学後の生徒らのバスへの乗車地にバスが停車したところで、豊一が、再びバスを降り、両腕を腰にあてて首をゆっくり前後に曲げるなど軽い体操をしたり、近くの芝生に横になったり、また、静かに座ったりしていたこと、午後二時三〇分ころ、再度バスが大涌谷に向けて出発する際、豊一は、他人の助けを借りることなく乗車した。そのころの豊一の様子は、医者の診療を要すると考えられるような異常を感じる者はいなかった。(2)大涌谷に向かう途中で、豊一が、頭痛、めまい等を訴え、窓を開き時々吐き気を催してビニール袋を口にあてがっていた。しかし、嘔吐物は出なかった、座席には通常の姿勢で座っており、横臥したり座席から転げ落ちるようなこともなかったこと、(3)午後二時五〇分ころ大涌谷駐車場で、生徒らが見学に出かけたが、豊一は顔面が蒼く、今度はバスから降りず、座席に座ったまま、バスに残った。その際豊一に対し、健康を気づかう声がかけられたが、豊一は佐々木教諭や生徒の一部に対してうなずいたり、応答をしていたものの、一部の生徒には返答もしないで座席に座って眼を閉じたままであったこと、同(七)の午後二時五五分ころ、女子生徒がカメラを取るためバスに戻り豊一の肩を二回程度叩いて起きているかどうかを確認したが、とくにうなずきもせず、頭を上に向けて手足を投げ出すようにしてぐったりしていた状態で、顔は青ざめていたこと、同(八)の午後三時二五分ころ、座席に座った状態の豊一は声を掛けられても、返答をせず、豊一の肩をゆすったところ、がくっと頭を垂れ、しかも顔面は蒼白であったことなどの豊一の身体の一連の動静をどうみるかにある。
即ち、これらの不調を示す動静を風邪ないし車酔いとみるか、または小脳出血の前駆症状とみるか、脳動脈瘤破裂の警告的症状とみるかがまず問題である。
(二) 各説の主張の疑問点
(1) 小脳出血説
小脳出血をとる前示3(一)(1)イの鍋島意見では、前示のとおり、①脳実質内出血の場合、通常は、頭痛、意識障害、片麻痺、言語障害等の神経学的脱落症状をもって発症するが、約三分の一の例では発症直後には意識障害を欠くか又これが見られても軽微である。
脳実質内出血で臨床的に血性髄液の証明される症例のうち、本症例では神経学的脱落症状は認められていないことにより視床部に出血し脳室に穿破した可能性が示唆されるが、短時間で死亡に至る例は非常に少ないと考えられる。脳実質内出血で本症例のような臨床経過をとる可能性が最も高いと考えられるのは、劇症型の小脳出血である。小脳出血は脳内出血の約一〇パーセントに見られ、高度のめまい、嘔吐、歩行失調などの症状で発症するものであり、そのうち急激な経過で意識消失し死亡に至る劇症型があり、本症例の如く片麻痺やけいれん発作のみられないことなどが大脳出血との鑑別上有用であるとされており、したがって本症例がいわゆる劇症型の小脳内出血で死亡した可能性が最も高いと考えられる。と述べ、さらに、前認定(四)の昭和五三年五月一二日午後零時四五分ころ、豊一がバス内で「バスに少し酔ったようだ。」と訴え、同(五)の同午後零時五〇分頃豊一本人は、頭痛めまいがするといい、バスに酔うとは珍しいと述べた時点から、(六)(2)の午後二時三〇分ころ、バスが再度大涌谷に向かう途中で、豊一が、頭痛、めまい等を訴え、時々吐き気を催してビニール袋を口にあてがっていた。しかし、嘔吐物は出なかった時点までの間に症状が悪化し、意識も次第に障害されつつあるので、高度のめまい、嘔吐、歩行失調などを伴う小脳出血に適合すると判断している。なお、車酔いの場合には、普通、下車すると簡単に回復するのに、本件ではそれがないから車酔いではないとしている<証拠略>。
そして、脳動脈瘤破裂によるくも膜下出血の場合には頭部頭頂部に激痛があり、一過性の意識消失を伴うのに、本症例ではこれがないから、その可能性は〇パーセントに近いとしている。
しかし、この見解の疑問点は、前示3(二)(2)ロ②掲記の動脈瘤の警告的症状に触れられていないことである。即ち、脳動脈瘤では、破裂に先行して警告症状が認められることがある。その頻度は二七ないし六〇%と諸家により異なるが、本症例はこの警告症状三グループのうち、第二群の小出血による症状中の嘔気、嗜眠と、第三群の血管攣縮、閉塞による局所虚血症状のうち、平衡感覚消失、めまい、下痢、体熱感、運動障害、抑うつに当たると解する余地がないかが問題である。この点につき、前示3(一)(2)イの小竹意見では、脳動脈瘤破裂の警告症状は近年安井信之、鈴木明文らの報告(同人ら・脳神経外科一九八五年)によると第一回出血(警告症状)より再出血までの期間は六時間以内(31.5%)が最も多いとしている。そこで、前認定の一4(五)の元箱根における午後零時五〇分の「気分が悪い、車に酔うなど珍しい」といった時期以後を警告的症状ととることも不可能でないが、箱根町下車後に持続的な頭痛、嘔吐、めまい等の存在が明らかでないので午後二時三〇分頃までは警告症状ととることはできない。と説き、次いで、前同認定(六)(2)の午後二時三〇分元箱根町出発後警告症状があり、同(七)の午後二時五〇分から午後三時二五分の間に再破裂して死亡した可能性が残る、としている<証拠略>。この点当裁判所には、前認定同(五)の午後零時五〇分以降、同認定(六)(1)(2)、(七)にいたる部分についても、前認定(2)ロ②の脳動脈瘤の警告的症状に照らし、これが警告的症状でないかとの少なからぬ疑問が生ずるし、この小竹意見にいう前同認定(六)(2)の午後二時三〇分元箱根町出発後の豊一の動静を脳動脈瘤の警告的症状を示す臨床症状ではないかという合理的疑問を払拭することはできない。
(2) 脳動脈瘤破裂説
脳動脈瘤破裂説をとる前示3(一)(2)イの小竹意見では、小脳出血は初期歩行不能、構音障害、顔面神経麻痺があるが、豊一の場合ふらついて歩いていたとか、よろけるように歩いていたとか、呂律が回らない、顔が歪んでいたとの証拠がなく、少なくとも午後二時三〇分まではバスの乗降も独力でできたもので起立歩行可能であったといえるから、小脳出血とはいえないとしている。
しかしながら、前認定(二)(2)イの小脳出血の臨床症状として、小脳出血のうち、同②の出血量が少ない場合、その発作は、強いめまい、後頭部痛、嘔吐、運動失調、筋緊張低下、眼振、企画しんせんなどがみられる。小脳出血のうち、意識があるものでの初発症状は後頭部痛と嘔吐がもっとも多く、ついで急激なめまい、運動失調、手足の不器用がみられ、まれに精神錯乱や片麻痺もある<証拠略>。なお、このほか、初発症状として、構語障害、平衡障害、小脳失調、嚥下障害などが認められるが、発作当初より、意識障害を示す例は五分の一と少ないとの指摘があることに照らすと、必ずしも、初期に構音障害、歩行不能、顔面神経麻痺がなくとも、小脳出血の初期症状であることがあるといえるから、本件症状が小脳出血の初期症状ではないかとの合理的疑いが生ずるし、とくに、前示鍋島意見は脳実質内出血で本症例のような臨床経過をとる可能性が最も高いと考えられるのは、劇症型の小脳出血である。小脳出血は高度のめまい、嘔吐、歩行失調などの症状で発症するものであり、そのうち急激な経過で意識消失し死亡に至る劇症型があり、本症例の如く片麻痺やけいれん発作のみられないことなどが大脳出血との鑑別上有用であるとされており、したがって本症例がいわゆる劇症型の小脳内出血で死亡した可能性が最も高いと考えられる。と述べ、さらに、前認定(四)の昭和五三年五月一二日午後零時四五分ころ、豊一がバス内で「バスに少し酔ったようだ。」と訴え、同(五)の同午後零時五〇分頃豊一本人は、頭痛めまいがするといい、バスに酔うとは珍しいと述べた時点から、(六)(2)の午後二時三〇分ころ、バスが再度大涌谷に向かう途中で、豊一が、頭痛、めまい等を訴え、窓を開き時々吐き気を催してビニール袋を口にあてがっていたが、嘔吐物は出なかった時点までの間に症状が悪化し、意識も次第に障害されつつあるので、高度のめまい、嘔吐、歩行失調などを伴う小脳出血に適合すると判断しているし、前同ロの半田意見では、小脳出血は約一〇パーセントを占め、身体動揺感、めまい等で初発し、小脳失調があっても運動麻痺を欠くため四肢の運動障害を自覚しないことが多い。しばしば発病当初は強い頭痛も欠く。血腫が漸次増大して脳幹に圧迫を加えるようになると、脳幹障害のため意識レベルの低下、呼吸障害、循環不全などが出現し、放置すれば急速に以後悪化して昏睡となり呼吸麻痺を来たして死の転機となる。
豊一は、頭部激痛、意識障害で発症した形跡を欠き「バスに酔ったよう」、「気分が悪い」等と訴えたが、これは身体動揺感、めまい、悪心(むかつき)等の表現と考えて矛盾はない。また、報告書に「顔を窓の側にむけじっとしていた」とあるが、小脳出血時頭部を一定の位置に固定し、これ動かすとめまい、悪心などが増強されるため、じっと動かさずにいることはしばしば観察されることで、豊一もこのような状態にあったとも考えられる。午後二時三〇分には強い頭痛とともに「めまい」があったことがはっきりと報告書に記載され、さらに悪心、嘔吐も認められている。その後の悪化は急速で、午後三時三〇分には意識はなく瞳孔散大、呼吸停止の状態であったが、この頃には小脳血腫の増大により脳幹圧迫が発現進行したと考えれば説明可能な経過である旨を述べている。さらに、前同ハの新宮意見では、前示鍋島意見、半田意見と同様であり、とくにバス酔いと区別しがたい症状によって発症している事実も、小脳出血の局在論的見地から容易に説明し得るとしている<証拠略>。当裁判所はこれらの意見に示された本件症状が小脳出血の初期症状であるとの合理的疑問を払拭することはできない。
(3) まとめ
小脳出血の頻度をみると、これは前示(2)イ④のとおり小脳出血は特発性脳出血全症例中の約一〇パーセントを占める。
他方、前示(2)ロ④のとおり、くも膜下出血の頻度は脳血管障害の約一〇%を占める。出血の原因は、その約七〇%が脳動脈瘤破綻による。五〜一〇%が動静脈奇形よりの出血、約二〇%が原因不明とされている<証拠略>。
そして、脳動脈瘤の警告的症状の発現の頻度は前示(2)ロ②のとおり、二七ないし六〇%と諸家により異なるが、この警告症状は三群に分けられ、第一群は動脈瘤及び近傍動脈の圧迫による症状で、視野障害(2.1%)、眼球運動障害(7.4%)、眼痛(4.2%)、顔面痛(2.1%)、局所性頭痛(17.9%)、トータルで33.7%、第二群は小出血による症状で、全般性頭痛(25.2%)、嘔気(5.3%)、頚背部痛(6.3%)、嗜眠(8.4%)、羞明(1.1%)などトータルで46.6%、第三群は血管攣縮、閉塞による局所虚血症状であって、平衡感覚消失(4.2%)、めまい(4.2%)、下痢(3.2%)、体熱感(2.1%)、運動障害(1.1%)、感覚障害(1.1%)、幻視(1.1%)、抑うつ(1.1%)、トータルで二〇%であるとの報告がある(Okawara. 1973)。
そこで、これらの統計的数字をもとに考えても、小脳出血の頻度一〇に対し、脳動脈瘤破裂の頻度は八であって、その間に民事判決の事実認定を左右するに足る有意の差異はなく、より細密に考察しても、小脳出血のうち、めまい、嘔吐、及び頭痛で発症した例は八四パーセントであり、小脳出血の意識清明期は三時間内二一パーセント、3.5時間〜3.5日が五八パーセント、発症より意識が保たれlucid periodのないものが二一パーセントであるから<証拠略>、本症例は小脳出血一〇のうち1.764であり(0.84×0.21=0.1764、0.1764×10=1.764)、脳動脈瘤破裂八のうち、1.1664ないし0.52488であって(0.053(嘔吐)+0.084(嗜眠)+0.042(平衡感覚消失)+0.042(めまい)+0.021(体熱感)=0.243、0.243×8×0.6(警告症状)=1.1664ないし0.243×8×0.27(警告症状)=0.52488)、やや小脳出血の蓋然性が高いが、その間に民事判決の事実認定を左右するに足る程の有意の差を見出すことはできない。
したがって、当裁判所は以上のとおり丹念に細密な検討を重ねたけれども、結局、豊一の死因につき小脳出血か脳動脈瘤破裂かを認定することはできないというほかない。これは、原告の引用する鍋島意見ないしこれと同調する半田意見、新宮意見は、鍋島証人自身が当法廷における証言において認めるとおり、司法解剖、病理解剖などがなされていない本症例ではこの区別を正確には確定できず、いずれにしても全くの推定によるものであって<証拠略>、前示のとおり、臨床的な診断においても、臨床症状のほか補助診断法として、小脳出血の場合には、前示3(二)(2)イ③のとおり、臨床経過、神経学的所見のみで、高血圧性小脳出血か否かを診断することは、必ずしも容易ではなく、補助診断法との併用が必要となる。CT scan、脳血管撮影を行うべきであるとの指摘があるのであって、これらの小脳出血説をとる鍋島意見等及び脳動脈瘤破裂説をとる小竹意見は、裁判上これをもってそのいずれかに認定するには不十分であって、これらにより判決の基礎とすべき事実を認定することはできない。
四公務起因性の検討
1 死因病名不明と公務起因性の判定の要否
前示三2において指摘したとおり、豊一の死因が小脳出血か、脳動脈瘤破裂かの判定が不能であっても、その両者につき公務との相当因果関係があれば、公務起因性を認定することができるので、この両者について公務起因性があるか否かの判定をする必要がある。
2 小脳出血の場合
豊一が小脳出血であった場合について、原告は昭和四七年四月から昭和五三年三月までの六年間京都市立高野中学校及び昭和五三年四月以降の下鴨中学校における過重な職務に従事したため疲労が蓄積し、ストレス、緊張が連続して、小脳血管壁を脆弱化させて血管壊死を来たし、更に昭和五三年五月一二日の本件修学旅行の引率業務で一過性の血圧上昇を来たし、壊死状態の小脳血管壁が破裂して小脳出血を発症したもので、公務起因性がある旨主張している。
確かに、前認定一2の高野中学校における豊一の職務は、同和関係校でもあり、また、公務分掌では渉外担当として、学習会、家庭訪問、育友会書記事務等により週平均二〜三回、午後七時から九時頃まで勤務する必要があったもので、負担の多い職務であったことは否めない。また、昭和五二年度末の春休み期間中の指導要録の作成、理科教室備品の点検整理、育友会の記録の整理等の業務に従事し、残務整理が多かったことが認められるがこれが特に過重な職務とはいえないし、これらの疲労が重なり豊一の小脳血管の脆弱化をもたらしていたことを認めるに足る的確な証拠がない。とくに、前示三3(二)(2)イ①の小脳出血の機序、誘因に照らして、一般に小脳出血は、脳血管の血管壊死または小脳動脈瘤を来たし、出血するものと理解されており、小脳部の血管壁が破壊されることによって生ずるものであって、その血管壁破壊の原因は、小脳部に脳動脈瘤等の基礎疾病がない限り異常亢進した血圧、即ち高血圧であるとされている<証拠略>。小脳出血の三分の二は高血圧性小脳出血である。残りの三分の一は動静脈奇形、出血性傾向(blood dyscrasias)、外傷、腫瘍、抗凝固剤、動脈瘤破裂などによる。高血圧性小脳出血は五〇歳以上に多く、若年者では動静脈奇形、出血性傾向、外傷による場合が多いとされている<証拠略>。ところが、豊一の場合には、本件全証拠によっても、動静脈奇形、出血傾向、外傷、腫瘍、抗凝固剤、動脈瘤破裂にあたることを認めるに足る的確な証拠がなく、高血圧性小脳出血が豊一の年齢とも関連して疑われるのであるが、これには前示鍋島意見などによると、小脳出血では五〇ないし九〇%で最も多く、本症例の如く発症前に高血圧が指摘されていない高血圧性脳出血例が三分の一に見られるとしている<証拠略>。ところが、豊一の当日までの健康状態をみると、前認定二のとおり、昭和四七年、五一年、五二年には陳旧性肺結核の痕跡を残すが、その後異常はなく、血圧についても昭和三四年以降、ずっと定期健康診断の測定時には正常であり、昭和五一年は一二二/七六、昭和五二年は一一〇/六〇であった。また、検尿でも昭和五二年蛋白(一)、糖(一)であり、昭和五二年の胃検診異常なし、糖尿病その他の代謝異常等の病気も見られないままの健康状態で過ごしてきたのであるから、昭和四七年四月から昭和五三年三月までの六年間京都市立高野中学校及び昭和五三年四月以降の下鴨中学校における職務に従事していた当時においても、とくに持続的な血圧上昇があるとはいえず、またその間に特異な一過性の血圧上昇があったことを認めるに足る的確な証拠がない。したがって、豊一において何らかの一過性の血圧上昇により小脳血管壁の脆弱化が進み、血管壊死を来たしていたとするのは推測の域を出ず、これを認めるに足る的確な証拠はないし、たとえ豊一の小脳血管壁にその様な血管壊死状態が発生していたとしても、使用者である京都市において、原告主張のように一瞬即発的な小脳血管壁の脆弱化した血管壊死状態を、本件発症前の昭和五三年五月一二日の本件修学旅行引率業務を命ずる前に予知していたとか、これを客観的に予測し得たことを認めるに足る的確な証拠はない。
したがって、たとえ豊一の疾病が小脳出血によるものであるとしても、これと豊一の公務との間に相当因果関係を認めることはできない。
また、前認定一4の各事実の経過のとおり本件修学旅行の引率につき突発的な異常事態は発生しておらず、通常の経過をたどったごく普通のものであって、豊一は従前にも昭和三二年から昭和五一年まで前後八回にわたり日光、東京、箱根などへ修学旅行の引率をしており、経験も豊富であるし、本件旅行では殆どバス内で休息していたことが認められるのであって、一般的にはこれらの業務により一過性血圧上昇を来たし、普通の健康人の小脳血管壁が破裂して小脳出血を発症するにいたる程度のものとはいえないので、これにより使用者である京都市において、本件発症前後において豊一の小脳血管がすでに壊死状態にあり、これが通常の本件修学旅行の引率業務によっても生ずる一過性の軽度の血圧上昇によっても破裂して小脳出血を発症することを認識し、又は、認識し得べき客観的可能性があったものと認めることができないから、この点でも公務と小脳出血との間に相当因果関係はないというほかない。したがって、豊一の死因を劇症型の小脳出血によるものとみたとしても、その公務起因性は認められない。
3 脳動脈瘤破裂によるくも膜下出血の場合
豊一の死因を脳動脈瘤破裂によるくも膜下出血であるとみた場合に、前示事実適示のとおり、これと公務との間に相当因果関係があることを原告も主張せず、被告は相当因果関係がないと主張しているから、むしろ相当因果関係のないことにつき当事者間に争いがないともいえる。もっとも、前示佐野意見によると豊一の死因を脳動脈瘤破裂であるとしながら、これがストレス、過労が蓄積して血管の脆弱化を来たし、一過性の高血圧で容易に破裂の原因となり得るもので、本件でも、修学旅行の付添業務中という特殊な身体的精神的状況の下で、一過性の高血圧を起こし、それが誘因となって動脈瘤破裂によるくも膜下出血を起こしたと考えられると述べている。しかし、豊一のストレスなどによる一過性の高血圧ないし持続的高血圧に基づく小脳出血ないし脳動脈瘤破裂を認識し又はそれの認識ないし予見が可能であったことが認められないことは既に前示小脳出血につき説示したとおりであって、これと同一の理由により、公務と脳動脈瘤破裂との相当因果関係を認めることはできない。
五主位的主張のまとめ
よって、豊一の死因が小脳出血であって、これと公務との間に因果関係があり、豊一の本件死亡につき公務起因性があるとの原告の主位的主張はいずれの点からみても、これを採用することはできない。
第四致命可能性の剥奪の検討(予備的主張の判断)
一原告は、予備的に、豊一が当日午後零時四五分ころ気分が悪いと訴えるころ発症したが、修学旅行中のバスに乗車中であったため、乗り物酔いと誤解されて、発症後直ちに異常を発見されないまま、その適切な診療を受ける機会を失って死亡したものであって、豊一の死亡との間に公務起因性がある旨主張するのでこの点につき検討する。
豊一の死亡当日の職務ないし発症の経過は、前認定第三の一4のとおりであって、豊一の疾病が小脳出血ないし脳動脈瘤破裂のいずれであっても、午後零時四五分ころ、バスの中で豊一が「バスに少し酔ったようだ」ないし「気分が悪い」と訴えているが、豊一は、五月初めころからの風邪の症状が完治せず、体調が優れなかったのであり、それのみでは、豊一自身も、また、同人の周囲で同人の様子を見ることができた者にとっても、同人を大病院の医師の診断を早急に受けさせなければならないものと判断する状態にあったとはいえない。その後も、豊一には吐き気をもようしたものの、実際には嘔吐をしてはいないこと、体調が優れないとして、生徒の見学に同行しなかったことのほかは、とりたてて外見的に異常な行動もなく、単独で歩行し、構音障害等の外観からの発見可能な異常もなかったものであり、また、午後二時三〇分ころ元箱根出発後、午後二時五〇分ころ大涌谷到着までの間においても、頭痛、めまい、吐き気を訴えたのみで、別段意識障害が出現してはいないから、近くで見ているものからも異常と認められるような格別医者の診断を受けたほうがよいと思われるような異常はなかったものと考えられるし、少なくとも意識障害はなく、また、付添医師が同行していたのであるから、異常があれば医師の診察を受けることも可能であったのに、豊一自身も診察の依頼をせず、その必要性を感じていなかったというほかないし、停車したバスの中で休養していれば回復するとの判断で過ごしていたものと認められる。そして、前認定第三の一4の事実に照らすと、豊一が脳外科の専門病院へ搬送する必要を認めるに足る状態になるのは、早くとも、同4(六)のバスが当日午後二時五〇分ころ大涌谷駐車場に到着した際、豊一が顔面が蒼く、今度はバスから降りず、座席に座ったまま、佐々木教諭に気分が優れないからバスに残らしてもらう旨告げて残ったが、見学に出かけるためバスから下車する佐々木教諭や数人の生徒から、健康を気づかう声がかけられたが、これに対し、豊一は佐々木教諭や生徒の一部に対してうなずいたり、応答をしていたものの、一部の生徒には返答もしないで座席に座って眼を閉じたままであったころから、同4(七)の午後二時五五分ころ、女子生徒がカメラを取るためバスに戻り豊一の肩を二回程度叩いて、起きているかどうかを確認したが、とくにうなずきもせず、頭を上に向けて手足を投げ出すようにしてぐったりしていた状態で、顔は青ざめていたころであるというほかない。
したがって、同人がこの午後二時五〇分ないし五五分に異常を発見されて脳外科の大病院へ搬送されたとしても、前認定第三の一4(九)のとおり、同人の死亡したのは、おそくとも同日午後三時三〇分ころ、駆けつけた山雄医師が豊一を診察し、豊一が、顔面蒼白で、脈はなく、呼吸は停止し、瞳孔も散大していた時点ないし、箱根二の平医院に搬送され、午後四時五分到着した際、同医院の佐野節夫医師の診断によれば、豊一は、意識昏睡、四肢は弛緩し、顔面蒼白、チアノーゼがあり、瞳孔散大、呼吸停止、脈拍停止、心音なしという状態であり、一応死亡と認められる状態であった時点までの間であるから、たとえ、原告主張のように豊一がその住所地である京都市にいて、しかも、当時搬送された京都市内の病院においてCTスキャナーの設置、稼働が十分であったと仮定したとしても、弁論の全趣旨に照らし、患者の搬送時間、CTスキャナーなどの検査、開頭手術時間を考慮すると、この死亡時点までの一時間一〇分ないし一五分の短時間の間に、これらの手順を経て救命され得たもので、豊一の救命が合理的な疑いを超える程度に確実であったと認めることはできないし、本件全証拠をもってしてもこれを認めるに足る的確な証拠がない(最判平成元・一二・一五刑集四三巻一三号八七九頁参照)。
したがって、豊一が修学旅行の引率業務に従事中のため、あるいは、バスに乗車中という特殊な公務環境における公務により治療を受ける機会を失い、死亡するにいたったという原告の予備的主張も採用することができない。
第五結論
以上のとおり、豊一の死亡が公務上の災害(疾病・死亡)であることを認めるに足る的確な証拠がないので、これを公務外の災害と認定した被告の本件処分は結論において相当であって、これに違法があるものということはできず、本件処分の取消を求める本訴請求は失当である。
よって、原告の本件請求は理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法七条、民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官吉川義春 裁判官菅英昇 裁判官堀内照美)